
NORITOSHI
【出演情】
★九月花形歌舞伎『新・水滸伝』 出演
日時:2023年9月3日~9月24日
場所:南座 11時開演 16時30開演
★愛知中学・高等学校芸術鑑賞会
上州土産百両首より 作/川村花菱
『月夜の一文銭』 脚色・演出/嘉島典俊
日時:2023年9月26日(土)
場所:名古屋公会堂
※芸術鑑賞会のため一般の方のご観劇はできません。
★『藤乃かな特別公演』 出演
第二部 豪華絢爛舞踊ショー 構成・演出・振付
日時:2023年10月7日(土)
場所:八千代座 開演:13時から
★華の花魁絵巻『江戸の風情を令和に』 出演
日時:2023年11月4日(土)
お食事12:30~ 開演:13時から14時30(終演予定)
お食事16時30~ 開演:17時から18時30(終演予定)
会場:ホテル座みかさ 4Fお座敷(元遊郭三笠楼)
チケットお問合せは(株)HOUEI KIKAKUまで
BIOGRAPHY
1973年2月22日、静岡県御前崎市に誕生。
両親は大衆演劇の役者として活動。
その公演先で生まれることになる。
誕生して間もなく、公演先の寮にて生活が始まるが。
祖父母が近くにいるわけでもなく、楽屋での生活となる。
幕が開く知らせ、柝の音が鳴ると同時に泣き出して
幕が閉まるまで声が出なくとも泣いていた。
それを見ていた母親は「彼は役者にむいていない」と決断をし、俳優業を断念する。その後、普通の家庭環境で生活を送るもの、あまりにも引っ込み思案で泣き虫で、
このままでは良くないと一大決心をし、母親に手を引かれ古巣である大衆演劇を観劇する。
母親は「この仕事をしようと思うけど、どう?」と問い、「いいよ」と一言。
彼は銭形平次や仮面ライダーの番組を見ており、自分がチャンバラ出来るならと・・・。6歳の夏休みと共に彼の役者人生が始まる。
初舞台は‟男でよいしょ″(水前寺清子さんの曲)の舞踊。
お客様は数人しかいなかったが、初めて浴びたスポットライトは別世界であり、これが自分の歩む道筋なのかと子供心に、とても心地よく感じていた。
初めの一年は師匠である母親も優しかった。
しかし!7歳を向かえたある日から暗い3年間が始まった。このことは自叙伝「天に翔ばたく鳥のごとく」にも掲載している。
母親曰く、立ち姿が絵になってた。稽古を重ねれば少しはモノになるかもしれない。その思いから舞台を終えてから日夜稽古が始まる。
稽古をしても叱られる毎日。妹がメキメキと上達して、彼は干される有様。
唯一舞台に立たせてもらえるのは舞踊だけ。レコード一枚ぶん(約3分間)は自分の世界。それが楽しみで日々を送っていた。
そんな3年間を過ごした10歳の春に櫻光洋から白龍光洋に改名。
舞踊しか取り柄のない彼が、お客様から目がイイ!
流し目をしてると噂になり始める。
少し芸に関して楽しみを覚えだしたころ。母親が(立っているだけでも色気がないとダメだから女方を稽古しなさい!)えー!と思いながらも彼は稽古に励み。初めて女方で舞った「男の花道」(大木伸夫さん)曲で舞台にかける。それをたまたま見たスポーツ紙の記者が記事に。「ここにチビッ子玉三郎誕生!」瞬く間に噂となりチビ玉時代となる。
やっと暗い三年間から抜け出せたと思いきや、女方の修行の日々が始まる。おかげで、テレビ、映画、コマーシャル、レコード、歌舞伎に次々と出演が決まってゆく。
多忙な日々を送っていたなか突如、在籍していた劇団から解雇を伝えられる。
しかも九州は鹿児島。そのまま劇団を離れフリーとなり、個人事務所を立ち上げることとなる。
この裏には俗に言う大人の事情。彼たちが居てはよろしくない筋書きが出来ておりました。
紆余曲折あり、父親が興行のスケジュールを母親が映像舞台等のプロデュース及びマネジメント業務に就く。
チビ玉時代も佳境に入り、本格的に役者としての道のりを歩みだす。
そこでテレビプロデューサーの小林俊一監督と出会う。沢山の作品に起用され、彼の特別公演(現、嘉島まつり)では演出も手掛けてもらい、白龍光洋から片桐光洋に改名。大衆演劇の世界から映像の世界へと歩み、独自の世界を作り始めていった。
彼は片桐時代を経て嘉島典俊改名後、大河ドラマ「風林火山」武田信繁役で出演となり彼の代表作となる。共演者であった市川猿之助丈(当時、亀治郎)とのご縁から、スーパー歌舞伎『ワンピース』『NARUTO』『オグリ』と新たなジャンルに挑戦。2019年には芸道活動四十周年を迎えた。