BIOGRAPHY

1973年2月22日、静岡県御前崎市に誕生。

両親は大衆演劇の役者として活動。

その公演先で生まれることになる。

誕生して間もなく、公演先の寮にて生活が始まるが。

祖父母が近くにいるわけでもなく、楽屋での生活となる。

幕が開く知らせ、柝の音が鳴ると同時に泣き出して

幕が閉まるまで声が出なくとも泣いていた。

それを見ていた母親は「彼は役者にむいていない」と決断をし、俳優業を断念する。その後、普通の家庭環境で生活を送るもの、あまりにも引っ込み思案で泣き虫で、

このままでは良くないと一大決心をし、母親に手を引かれ古巣である大衆演劇を観劇する。

母親は「この仕事をしようと思うけど、どう?」と問い、「いいよ」と一言。

彼は銭形平次や仮面ライダーの番組を見ており、自分がチャンバラ出来るならと・・・。6歳の夏休みと共に彼の役者人生が始まる。

初舞台は‟男でよいしょ″(水前寺清子さんの曲)の舞踊。

お客様は数人しかいなかったが、初めて浴びたスポットライトは別世界であり、これが自分の歩む道筋なのかと子供心に、とても心地よく感じていた。

初めの一年は師匠である母親も優しかった。

しかし!7歳を向かえたある日から暗い3年間が始まった。このことは自叙伝「天に翔ばたく鳥のごとく」にも掲載している。

母親曰く、立ち姿が絵になってた。稽古を重ねれば少しはモノになるかもしれない。その思いから舞台を終えてから日夜稽古が始まる。

稽古をしても叱られる毎日。妹がメキメキと上達して、彼は干される有様。

唯一舞台に立たせてもらえるのは舞踊だけ。レコード一枚ぶん(約3分間)は自分の世界。それが楽しみで日々を送っていた。

そんな3年間を過ごした10歳の春に櫻光洋から白龍光洋に改名。

舞踊しか取り柄のない彼が、お客様から目がイイ!

流し目をしてると噂になり始める。

少し芸に関して楽しみを覚えだしたころ。母親が(立っているだけでも色気がないとダメだから女方を稽古しなさい!)えー!と思いながらも彼は稽古に励み。初めて女方で舞った「男の花道」(大木伸夫さん)曲で舞台にかける。それをたまたま見たスポーツ紙の記者が記事に。「ここにチビッ子玉三郎誕生!」瞬く間に噂となりチビ玉時代となる。

やっと暗い三年間から抜け出せたと思いきや、女方の修行の日々が始まる。おかげで、テレビ、映画、コマーシャル、レコード、歌舞伎に次々と出演が決まってゆく。

多忙な日々を送っていたなか突如、在籍していた劇団から解雇を伝えられる。

しかも九州は鹿児島。そのまま劇団を離れフリーとなり、個人事務所を立ち上げることとなる。

この裏には俗に言う大人の事情。彼たちが居てはよろしくない筋書きが出来ておりました。

紆余曲折あり、父親が興行のスケジュールを母親が映像舞台等のプロデュース及びマネジメント業務に就く。

チビ玉時代も佳境に入り、本格的に役者としての道のりを歩みだす。

そこでテレビプロデューサーの小林俊一監督と出会う。沢山の作品に起用され、彼の特別公演(現、嘉島まつり)では演出も手掛けてもらい、白龍光洋から片桐光洋に改名。大衆演劇の世界から映像の世界へと歩み、独自の世界を作り始めていった。

彼は片桐時代を経て嘉島典俊改名後、大河ドラマ「風林火山」武田信繁役で出演となり彼の代表作となる。共演者であった市川猿之助丈(当時、亀治郎)とのご縁から、スーパー歌舞伎『ワンピース』『NARUTO』『オグリ』と新たなジャンルに挑戦。2019年には芸道活動四十周年を迎えた。

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